宗教のイメージが変わった出来事

 

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宗教のイメージってどんなものですか?

無宗教な人は「なんか怪しいし、カルト宗教のような悪いイメージがある」と考えるかもしれません。
私も悪いイメージがありました。それには理由があります。

 

 

 

小学校の同級生から宗教に勧誘される


私には小学生の時に仲が良かった友だちがいました。仮にA君とします。高校1年生の時にそれまでは連絡も取っていなかったA君から急に遊ぼうという連絡がありました。
私は4年ぶりの再会に、A君はどう変わっているのだろう、なんの話をしよう、などドキドキしながら待ち合わせ場所に向かいました。近所のレンタルビデオ店で待ち合わせをしたのですが、待っていたのは成長したA君と見知らぬ30代ぐらいの男性でした。

誰だろうと不審に思ったのですが、とりあえず軽く挨拶をし、なぜか3人で別の場所へ移動しました。私は久しぶりに再会したA君と話したかったのですが、一方的に30代の男性が話しかけてきました。

男性は当たり障りのない世間話を始めました。私は質問に答えながら会話をしていたのですが、話はだんだんとA君の話に変わってきました。男性の話によるとA君は幼いころ重病にかかっていたと言うのです。小学生の頃から健康体のイメージしかなかったA君が重病にかかっていたことは、にわかには信じられませんでした。

その病気が治った理由についてはその宗教に入ったことで治ったのだと男性は言いました。人を疑うことを知らなかった当時の私は、「そんな奇跡があるのか」と考えてしまいました。
「とりあえず見学だけでも」と言うA君と男性に連れられて、宗教団体の建物へ連れて来られました。建物に着くと、入館手続きのようなシートを書かされ(氏名や住所など)手続きが終わると、数珠を渡され独特の呪文のようなものを唱えるように言われ、A君と共に行いました。家に帰り、冷静になって友達に相談しました。そしたらA君に変な宗教に誘われたと言う友達が出てきたのです。それを聞いて考え直し、後日A君に断りの電話を入れました。それ以降A君からの連絡もなくなり、会うことはありませんでした。

そんな体験があってから、私の宗教のイメージは悪いものに変わっていました。

 

宗教によって幸せになった老婦人

 

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それから数年経ったある日、イメージが変わる出来事がありました。
今から数年前のことですが、私は祖母と病院に行きました。祖母の診察が終わるのを待合室で待っていると、隣にいた老婦人が話しかけてきました。

老婦人の話を聞いていると、
「私は〇〇という宗教に入ってからいつも幸せなんです。」
なんてことを言うんです。

高校生の頃の体験があった私は「うわぁ、また変な宗教に勧誘される。」
と完全に警戒し、適当に話を流していましたが、勧誘されることはなく、ただただ老婦人は幸せそうな笑顔を浮かべ話しているだけでした。

その時に自分の中にある、宗教へのイメージがなんとなく変わるのがわかりました。私は無宗教であり、私の家族もどこかの宗教に属したことはありません。そんな実態がわからない物を頭ごなしに否定していた自分に違和感を覚えました。悪徳な宗教団体によって搾取されることがあるのも事実ですが、宗教によって救われる人がいるのも事実です。

私はなぜ、老婦人が幸せを感じているのかと考えました。そこでこんな考えに至りました。

 

なぜ宗教で幸せを感じるのか


近年では個人の幸せや、個人での楽しみ方など1人でも人生を謳歌できるような仕組みが出来上がってきました。「一人の方が楽」「他人と関わりたくない」そう考える人も多くなってきています。ただその一方でSNSで他人との繋がりを求め、寂しさや自己顕示欲を満たすと言う行為が目立っているように感じます。やはり人と繋がりたいと考えている人が多いと私は思います。ただ現実世界になると、「付き合いが面倒」だとか、「気を使うことが嫌」と言い出すのです。

私もそうです。なぜそれが嫌なのか、私の場合は否定されることを恐れているからだと思います。現実世界で嫌われたくない、ただ自分のことは誰かに認知して欲しい。
でも現実世界で孤独を感じている人は、ネットの世界でどんだけ認知されようとも孤独だと思います。
そんな人を孤独から救ってくれるのが、コミュニティだと私は考えています。それが部活動のチームであれ、会社の部署であれ、同じことをグループで行なっていることで仲間意識が芽生え、コミュニティが生まれる。でもそこでも疑問は生じます。そのグループは本当に純粋な仲間だと言えるだろうか。仕事では優劣がつけられ、部活動ではレギュラーの座を競い合います。そして会社をやめたり、部活動を卒業すればそのコミュニティから外れる事になるのです。自分が認知され、互いに認められるコミュニティはどこにあるのでしょうか。

そこで1つの選択肢として出てくるのが宗教です。私たちの仲間意識がどこから芽生えてくるのでしょうか。

・同じ地球に生まれたから、地球上の生物は仲間。

・人間という種として生まれたのだから、人類は仲間。

そう考えるでしょうか?それよりも

・日本に生まれたから日本人は仲間

・沖縄で生まれたから沖縄出身の人は仲間

の方が仲間意識は芽生えやすいのではないでしょうか。
ここで気づくことは、コミュニティが狭くなるほど仲間意識が強くなるということです。

 

同じ生物<同じ人間<日本人<同じ出身地

 

さらに仲間意識を強くさせるにはどうすればいいでしょうか。それは同じ思想を持つことです。自分の信じていることや思想が同じ人には、強く同調し、仲間意識が芽生えます。
そこで私は、宗教は最強のコミュニティなのではないかと考えました。科学が発展した現代でも宗教がなくならない理由はここにあるのではないかと思います。

限定的であり、同じものを信仰し、同じ思想を持っている。

何かを信じるということは、心の安定剤でもあります。疑い深くなることは時にいいことですが、人間不信に陥り鬱になることもあります。近年では鬱が増大傾向になっていることは、皆さん身を持って感じていることだと思います。信じることによって、心を安定させ、同じ思想を持つ仲間と出会える。そのコミュニティは各県、各国にあり、いつでもどこにいても仲間に出会える。悪くはないと思いませんか?

私はあくまでも宗教を勧めているわけではありません。宗教にはある部分では肯定的で、ある部分では否定的な意見を持っています。ただ私たちは自分が理解ができないこと、知らない事に対して否定的になることが多々あります。そんな時には、見方を変えて、いいところや、悪いところを考えてみると視野が広がるのではないかと思います。

 

キリスト教徒は世界で23億人いるそうです。なぜそこまで広いコミュニティができたのか。なぜそこまで人の心を掴むことが出来たのか。そんなことを考えるだけで、実生活にも活かせるヒントがあるのではないかと私は思います。

私が出した結論は結局・・・

 

ここまで長々と書いてきましたが、やっぱり自宅に訪ねてくるような宗教や、友達を騙して入会させるような宗教にはあまりいいイメージが湧きません。というか友達を騙して入会させる手口は双方に一切メリットがありません。これを友達にやられると結構傷つくのでやめてほしいです。けれどキリスト教でも仏教でも立派な思想は沢山あり、見習いたいと思うこともあります。これを読んでいるあなたも宗教に対して、悪いイメージあるいは、いいイメージを持っていと思いますが、何か考えるきっかけになればと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。